ロシア版「黒船」の通訳とサトキマダラヒカゲ

サトキマダラヒカゲのこの顔、なにかこちらに訴えかけてくるようで親近感が湧く。どちらかといえば人への警戒心が薄く、顔のアップの撮りやすいチョウだ。私の昆虫少年時代には、サトキマダラヒカゲという種は日本に存在していなかった。この名を知ったのは13年前、東高根森林公園でチョウの保護活動を始めたときのことだった。昆虫少年時代は中学1年で終了し、その後50年間はチョウと無縁であったため、サトキマダラヒカゲの登場理由がいまだに私には不明のままだ。
ただ子供時分に愛用した『原色日本蝶類図鑑(昭和35年10刷発行)』を今見ると、「北海道から九州に至る日本全土に産し、信州の高地に産するものは小型で裏面は暗化し、別亜種とされている。」と記載されているから、この別亜種が従来からの「キマダラヒカゲ」、他の土地産が新たに「サトキマダラヒカゲ」となったのだろうか。
この『原色日本蝶類図鑑』は、大人になってから読むと筆者の横山光夫氏の文章がひとひねりあって好ましい。「(キマダラヒカゲの)種名goschkevitschiiは古く日本で多くの昆虫を採集したロシアの採集家の名に因む」と記してあって、思わずネットで検索してみたくなった。
「goschkevitschii」をカタカナ読みしてネット検索すると、静岡昆虫同好会のサイトがヒットした。会誌『駿河の昆虫』の別冊として誌名『ゴシュケビッチ』を新たに出版するという、だいぶ前に書いたと思われる告知ページだった。出版趣旨は「会員による海外の昆虫に関する調査報告及び論説を掲載するのが目的」と記してあり、誌名の由来も載っていた。
キマダラヒカゲの種名にもなったゴシュケビッチは、ペリー来航1年後にロシア版「黒船」で浦賀に寄港した使節団の通訳だった。このとき彼が伊豆半島で採集したチョウがサンクトペテルブルク王立科学アカデミー博物館に寄贈され、数種が新種としてリストアップされた。こうした伊豆との関係の深さから彼の名前「ゴシュケビッチ」を誌名にしたのだという。昆虫愛好家たちの雑誌とはいえ、実証に基づく論文が載せられるに違いないから、今ではアカデミアも侮れないものになっていることだろう。

